秦の始皇帝の話だから絶対おもしろい。 ネタバレしますのでご注意を。 第1話「保身の術」 戦国四大名将のひとり王翦の物語。 朝議において、楚王は「大国・楚を討つにはどれほどの兵力が必要か」と将軍たちに問いかける。 名将・王翦は「六十万」と答え李信将軍は秦軍は精鋭ぞろい。二十万あれば大丈夫」と答える。 秦王は王翦の答えに老いて気力が欠けてきたのだと感じて李信将軍と蒙恬将軍に二十万の兵をあずけて楚を攻めさせた。 この朝議の結果に王翦は息子に引退を告げる。父の言葉に考えすぎではと息子・王賁は笑ったが王翦は「そなたまだ秦王の性格をつかんでおらぬな」と答えた。 秦王は人を信用しない。必要と思う時だけ腰を低…
千葉県総合救急災害医療センター(幕張豊砂)首の手術の定期検診に幕張へ向かう。病院は検見川浜から幕張豊砂に移転した。少し近くなったが、9時からの診察なので、7時半に家を出発。北西の風強し。幕張、65.3km(Rw)、76.5kg、23.6%、2000歩★★
違いが良くわかる動画をあげてくださっている方がいました。まさにコレ。これが答えです。協力できるところはしたらいいと思うけど根っこが違うんだから、協力しても後でもめそうな気がするけどねえ。それでも、今の自公の理念の違いよりはマシかな。二つの党の違いが判らない人に見てもらいたい動画です。二つの党の違いをスッキリ説明した動画
第1話「嫪毐の乱」 昨日の続き。 呂不韋の一世一代の大勝負は破格の大勝となる。趙の人質となっていた秦の公子・子楚を救い出し秦の王とした。 呂不韋はこのてがらにより丞相に封じられた。 だがこの荘襄王は在位三年でこの世を去った。 そして十三歳の政が秦王となった。 荘襄王の実母は「夏太后」となり呂不韋の囲い者から荘襄王の妃となって政を生んだ母は「母太后」となった。 そして呂布韋を相国(丞相より位は上)とし「仲父」と読んだ。これは父の次という意味である。 呂不韋の凄いのは丞相・相国となったところで堕落したりせず次に優れた食客を三千人集めるという意気込みがまだまだあるところだ。 この時代(今もかもだけど…
第一話「嚢中の錐」 第二話「老いの野望」 第三話「主を震わす者」 第四話「奇貨 居くべし」 呂布韋の物語です。 趙の都・邯鄲で呂布韋はひとりの若者に目を止めた。 来ている衣服は貧しいが身分のあるお方に見えるのだ。 側の者は「あのお方は秦の人質の子楚さまですよ」と言う。秦の太子・安国君さまのお子で人質として送られてきたのですが、秦と趙の仲が険悪になってからは粗末に扱われいまでは食事にも事欠くありさまとか、と説明した。 これを聞いた呂布韋はこれは奇貨(将来跳ね上がる商品)かもしれぬ、と思ったのだ。 呂布韋は父親にも相談し子楚に全財産をつぎこんで賭けてみることにした。 (すごい度胸。凄い商売人だ) …
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