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  • 寺山修司私論④

    寺山修司が短歌の世界で精力的に活動したのは『チェホフ祭』でのデビューからの十年あまり、ほとんど三十歳までのあいだということになる。なぜ寺山は歌を捨てて二度と帰ることはなかったのだろう。歌の世界で、寺山修司が打ち出したのはわたしのことばにかえていえば歌の「仮装する私の世界」或いは寺山が言う「メタフィジックな私」を、わが国の短歌界では異端されつづけられて、たぶん寺山の世界観を認める者がいなかったということになるおのだろうか。おそらくそのことが寺山修司を短歌から手を引かせたことのひとつの要因だったのではないか。それともそんな単純なものではなかったのだろうか。本人の不在ないまそれを問うことは出来ないが、短歌から興味が消え失せていったのは、「私とは何か」という唯一の問いを短歌以外に向けていったのだというほかない。そうであ...寺山修司私論④

    遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う 遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
  • 寺山修司私論③

    寺山修司は二十九歳の時生い立ちの悪夢を永い叙事詩にまとめた。{地獄変と題したこの作品は、ほぼ二年がかりで四千行を超えるものになって、短歌の部分だけはまとめ歌集「田園に死す」として出版。詩の部分は再度整理しこの仕事にのめり込むことになる。三十才の時には次のような詩を書いた。血が冷たい鉄道ならば/はしり抜けてゆく汽車はいつかは心臓をとおることだろう。同じ時代の誰かれが/血を穿つさびしいひびきをあとにして/私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の/最後のページをめくる男だ/私の心臓の荒野をめざして/たったレコード一枚分の永いお別れもま/いいではにですか/自意識過剰な頭痛の霧のなかをまっしぐらに/曲の名はTaketheA-train/そうだA列車で行こうそれがだめだったらはしってゆこうよ寺山修司が死の前年「朝日新聞」に発...寺山修司私論③

    遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う 遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
  • 寺山修司私論②

    寺山修司の歌集からの連想が〈非在のふるさと〉に思いを馳せることになる。寺山修司は「私は一九三八年十二月十日に青森県の北海岸の小駅で生まれる。しかし戸籍上では翌三六年一月十日に生まれたことになっている。」(「汽笛」)と書いているが、信じていいかどうかわたしの疑いははれていない。この二つの誕生日をあちこちで書いていてどれが本当なのかわからない。そのうえくりかえし書きつづる「少年時代」を読むたびに当時はとまどっていたが、嘘も真実の一部だと思い知るまでもなく、またたくまに映画や演劇、「天井桟敷」など、寺山修司の疾風怒濤の時代の波にまかれていたのではないかと思う。寺山修司は新宿の「きーよ」(ジャズ喫茶)によく行っていたというが私は新宿でも「汀」が多かったので出合うことがなかった。残念な気がするが、いや、どこかで出合ってい...寺山修司私論②

    遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う 遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
  • タマガワの立体ドームマスク

      私が愛用しているタマガワの立体ドームマスク。近くのコンビニやドラッグストアでの販売がなくなり、仕方がないのでネット検索してみたらamazonで販売していた…

    あざみ あざみ通信

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