- 1日前 未知日記霊話集千七百八十七回 帰途案内記 NO204 彼等には苦みと云ふことはあらざるなり。なさんとすればなり、意の如くすべては行ひ得る力そなはりあるによって、苦みと云ふこと一つとしてあらざるなり。下界に到らんとすれば忽ち下界に到り、帰らんとすれば忽ちもとに復す。真の自由とは是を云ふなり。全宇宙の大意を獲得したる人類なるが故に、正しき自然を応用して正しき自由を得たるものに於て、苦みと云ふものあるべき道理あらんや セイキョウ貴尊講義
- 1日前 未知日記霊話集千七百八十六回 帰途案内記 NO203 例へば此界の人が眠り憩ふ等のことはあらずと語らば、世人は如何に考ふるや。眠らず憩はず絶間なく働きを持続し居ると聞かされなば、斯る忙かしき生活をなし居らば我等はその苦痛には、堪え難からんとのみ考ふる他なかるべし。分時も憩はずして働くことのみなす事を得んやと考ふるならん。然るに二流界の人は事実なし居るなり セイキョウ貴尊講義
- 1日前 未知日記霊話集千七百八十五回 帰途案内記 NO202 例へば子を思ふ親の心は愛なりと。然して若し子が悪しき行為をなすならば、これを愛の心より改めしめんとて鞭打つにてはあらざるか。鞭打つは圧力にして是には憎しみを伴ふ。されど鞭打つ眼には愛の涙が宿り居るならん。泣いて鞭打つ、即ち引力と圧力の二つがこもごも交はりて行ふ結果、陰陽がここに頂点となりて現はれたるしるしなり セイキョウ貴尊講義
- 1日前 未知日記霊話集千七百八十四回 帰途案内記 NO201 我に悪心あるが故にこそ善事は行はるるなり。故に悪心は我を誡め呉るる教主なりと考へなば、敢て悪心を棄つるの要もなからん。悪心を捨てよと教へられ、又己自ら悪心を捨てんと計るとも、到底望は達せらるるものにあらず。悪をすて切らば果して真の善人になるかと云ふに然らず。悪心あるが故に是を己の教主として、或は手本として是を行はずして進むにあらざれば、真の善人とはならざるなり セイキョウ貴尊講義
- 1日前 未知日記霊話集千七百八十三回 帰途案内記 NO200 悪魔も法なり。故に神は是を区別して用い居るにすぎず。よって二流界迄は悪魔も退け給はざるなり。されど一流界に至ってはかかるもの必要あらざるが故に、入ることを許し給はざるなり。是を学理にて語るならば二流界以下は相対なるが故にかかる区別あれど、其以上は絶対界なるが故に区別の要あらずと知らば可ならん セイキョウ貴尊講義